新座市 和光市 リフォーム

ヒロキリフォームがお客様に喜んで頂いている理由

はじめに

はじめましてこんにちは。廣樹内装のホームページに来て下さりありがとうございます。

私は菅澤直樹といいます。社長の菅澤寛美は私の妻です。「何で奥さんが社長なの?」と時々聞かれることがありますが、理由は簡単で私はもともと職人なので、経営どころか営業もよくわからず独立したあと、法人化をする際、私が現場に専念できるようにと考え、社長を妻にお願いしました。
ヒロキリフォーム
廣樹内装が何を大切にしてお客様とお付き合いをしているか? なぜそう思うようになったのかを一番はじめにお伝えしたいと思います。

職人としての姿勢を学んだ修行時代

少し昔の話になりますが、私は1962年3月26日に千葉で生まれました。千葉の佐原市(現香取市)というところで、目の前の利根川というところです。今でも田舎ですが、私が幼少期を過ごしたときは自然しかないというところでした。利根川の河口が広がり、少し行くと鹿島港。広い広い太平洋が広がっていました。

高校卒業まではその佐原で過ごしましたが、次男であったこともあり、高校卒業後は東京の叔父の元に丁稚奉公に出されました。1980年の頃のはなしです。世間はバブル絶頂期です。

叔父は東京で経師屋(きょうじや)をやっていました。経師屋というのは、表装をする職人を言います。掛軸の表装を行ったり、和本の装丁、屏風の裏打ちなどをする職人です。身近な所では襖(ふすま)や障子やなどを貼り替える仕事もします。18から叔父の元その経師屋になるための修行がはじまりました。

その頃は家賃2万円の6畳一間のアパートに住み、食事と風呂は叔父の家でお世話になっていました。その頃は、当然将来は経師屋になると思っていました。

職人の世界というものは大変礼儀にも厳しい世界です。まずはそういったところから厳しく叔父にしつけられました。あいさつ。お礼。商売には基礎の基礎の部分から一つ一つ教えてもらいました。その頃の教えは今も私の商売における最も大事な部分として残っています。

毎日の厳しい修行の中で私が腐らず修行を続けられたのは、もちろん職人になって身を立てるということもありました。しかし、修行は厳しく家族も遠くにいたので寂しくもありました。その時の支えになっていたのが、稼いだお金でスポーツカーを買うんだという目標でした。

同じ世代の方であれば、知ってらっしゃる方も多いと思いますが、日産のS30(エスさんまる)が目標でした。当時のお金で100万円しました。これまでにないフォルムのピカピカのS30に自分が乗っていることを考えるとワクワクしました。これを買って年末は地元に乗って帰るんだと私は何度となく想像してました。こつこつお金を貯めました。

そして、ようやっと頭金の27万円が貯まった時、ドキドキしながら車を買いに行きました。残りはローンでしたが納車されたS30は何度見ても顔がにやけてしまいました。その年の年末にはS30に乗り、自慢気な顔をして佐原に帰りました。

18歳から16年間私は叔父のもとで修行を積みました。経師屋という仕事の幅を広げながら家の内装、つまりクロス貼りの仕事を多くやるようになっていました。バブルが崩壊したと言っても職人の仕事はまだまだありました。家はどんどん建っていましたので、その下請けの仕事はいくらでもありました。幸いなことに職人としての評価は高く仕事に困ることはありませんでした。


独立、リフォーム業界への疑問が


そして、34歳の時独立をしました。腕には多少の自信がありましたので、伝を頼りに仕事をもらいに行き、一度使ってもらうことで、信頼を得て次の仕事をもらうというパターンが上手くいきました。ちょうどその頃、妻(現廣樹内装社長)に出会いました。交際を続け、結婚することになりマンションに引越すことにしました。

当時の独立して2年は本当に好調でした。手間請けだけで月に100万を超える月もありました。家賃を払っているのがもったいなく感じたので、埼玉に家を買いました。90年代後半の話しです。しかし、その頃から徐々に手間請けの単価が下がりはじめました。腕ではなく、仕上がりよりも安さを求められるようになりました。大手ハウスメーカーの仕事も多くなり、ますますその傾向が強くなりました。

内装職人としての単価は下がっていく一方で、同時に内装の仕事だけの仕事も減って来ました。仕事はするけれど利益が残らないという悪循環になりました。何のために仕事をしているのか?自分は職人としての腕を活かせず自分を安売りしているだけの仕事に嫌気がして自己嫌悪になりました。

そして、ひとつ決め事をしました。それは「下請けをしない」ということです。当初は困りました。今までは人のつながりで下請けに入るということで、仕事がもらえましたが、今度はそうは行きません。仕事をどうやって生み出すかが全くわかりませんでした。しかし、自分の腕で地域の方々に喜んでもらいたいという気持ちはどんどん強くなりました。

決意の法人化

下請けではなく地域の方々に直接私の腕でお役立ちしたいと考え、41歳の時法人化をし有限会社廣樹内装を立ち上げました。同時に、リフォームを事業の主軸に据えることにしました。2003年から妻を社長に法人化をし、これまで商売をお客様のお陰で継続することができています。私は職人としての誇りがあります。これまで「仕上がりが悪い」というクレームは一件も受けたことがないということです。

職人として16年修行をし「仕上がりに妥協をしない」ということを叩きこまれました。今の仕事も同じようにさせていただいております。「自分の家と同じように」という大切にしている考えももともとは叔父の教えです。そして、どんなに仕上がりが良いだけではいけないと考えています。人としての基本の挨拶、現場での基本である養生、掃除。これは職人としての基本です。挨拶、整理整頓されている現場。この大前提があったこそ本来の仕事の仕上がりの良し悪しを見ていただけると考えています。


そして、おかげさまで、今までたくさんのリフォーム工事をご依頼頂き、ここまで歩んでくることが出来ました。日々の工事の中で、お客様に頂く言葉やリフォーム後の「嬉しい!」の笑顔が私たちの宝物です。


施工事例一覧


さて、法人化してまだ10年足らずの会社ですが、理想は高く掲げています。社名の「廣樹」の廣は末広がりの廣。廣樹の樹は大樹となり地面にしっかりとした根を伸ばしていくということを願っての社名です。

社名に恥じないようにそして、職人として学んだ教えをこれからもより一層高みを目指して精進していく所存です。「自分の家と同じように仕上がりに妥協しない」そういった家づくりでお客様に満足していただけるリフォームをお届けしていきます。

ヒロキリフォーム 取締役 菅澤直樹



施工事例一覧 会社案内 スタッフ紹介
 

▼お得なキャンペーン実施中!詳しくはこちら

トイレリフォームキャンペーン工事費コミで¥98,000
浴室リフォームキャンペーン工事費コミで¥598,000
浴室リフォームキャンペーン工事費コミで¥678,000
キッチンリフォームキャンペーン工事費コミで¥548,000